2020年11月29日(日)、令和元年の台風19号で甚大な被害を受けた長野市の長沼地区で、当時のボランティア活動に参加した人々を招いたりんご狩りイベントが開催されました。被災した住民の皆さんが、ボランティアさんたちに感謝の気持ちを伝えようと企画。青年海外協力隊(JOCV)長野県OB会との共催で行われたイベントで、当時のボランティアとその家族、およそ170人が参加しました。
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令和元年台風19号による千曲川の堤防決壊で甚大な浸水被害を受けた長野市長沼地区
長野市の長沼(ながぬま)地区は、令和元年台風19号による千曲川の堤防決壊で、甚大な浸水被害を受けた地域。
当時の報道で、濁流が押し寄せる衝撃的な映像を何度も目にしたのは、記憶に新しいところです。
普段、豊かな水をたたえ、穏やかに流れる千曲川が脅威となるとは、夢にも思わなかったことでしょう。
長沼地区は、赤沼(あかぬま)・大町(おおまち)・津野(つの)・穂保(ほやす)の4地区から成るエリアで、かつて長沼城(ながぬまじょう)の城下町や、北国街道松代道の宿場町として栄えた歴史があります。
現在はりんごの生産地として有名な長沼地区。
「アップルライン」の愛称で親しまれる国道18号線が南北を縦断し、沿道にりんご畑が広がる、のどかな地域です。
令和元年台風19号(令和元年東日本台風)の上陸により、10月13日に津野で千曲川の堤防が決壊。同地区の73世帯すべてが全壊したそうです。
赤沼にあるJR東日本長野新幹線車両センターは、千曲川から1kmほど離れていますが、堤防決壊により冠水し、新幹線車両120両が被害を受けました。
そして、最も大きく報道されていたのは穂保。
当時のニュース映像は、まるで津波が押し寄せたかのような水流を映し出していました。
穂保にはヤマト運輸長野主管支店があり、千曲川の堤防決壊で浸水。台風の前日にヤマト運輸に宅配物を依頼したので、よくおぼえています。
天気が崩れてきているのがわかっていたので、悪天候の前に荷物を発送しようと、送ったまではよかったのですが、配送センターの冠水により配達が保留に。
もしかして荷物が水に浸かったのかと心配しましたが、数日経つと配送が再開して、無事に先方に届いたということがあり、日本の物流のすごさに感心させられました。
災害後、長沼地区の泥出しや、家財の片付けなどを手伝ったボランティアの数は、延べ1万3,000人。
微力ながら、管理人の夫と息子もボランティアに参加したご縁で、今回のイベントに招待していただきました。
長沼地区の住民の皆さんは、ボランティアに感謝の気持ちを伝えるとともに、被災から1年経過した地区の現状を知ってもらいたい気持ちもあったようです。
管理人は、日本赤十字社を通じて「寄付金」という形で支援させていただきました!
復旧したりんご畑でりんご狩り♪袋いっぱい頂きました!そしてお野菜も!
あの日、泥に埋まってしまったという長沼地区のりんご畑は、きれいに復旧していました。
その畑で、たわわに実った、真っ赤なりんごをたくさんピックアップ。
コロナ禍でしたので、参加者はマスク&フェイスシールドという出で立ち。
受付時は、検温&消毒もきちん実施されていました。
息子たち3人と一緒にりんご狩りをするのは、かなり久しぶりのこと。
受験勉強漬けの長男にとっても、良い気分転換になったと思います。
そして、カゴ3つ分、大量のりんごを頂きました!
加えて、りんご狩りが終わったら、地元で収穫されたお野菜のプレゼントも。
りんごだけでなく、白菜、大根、ねぎなどもたくさん頂きました。
本当に至れり尽くせりで、感謝の言葉しかありません。
帰宅後、さっそく頂いたりんごは、蜜入りで、とってもおいしかったです。
さすがりんごの名産地で採れたものだけあって、本当に立派なりんごでした。
イベント参加記念に「オリジナル缶バッジ」と「缶入り絆創膏」も頂きました。
千曲川の堤防決壊現場と長沼城跡を見学!いまだに残る台風の爪痕
りんご狩り&お野菜プレゼントの後は、千曲川の堤防決壊現場や、長沼城跡を案内していただきました。
決壊現場では、新しい堤防の工事が進められている様子がうかがえます。
工事車両や建設資材が付近にたくさん置いてありました。
私たちが歩いたのは新しい堤防の上の道で、すでにきれいに舗装されていましたが、当時は土砂と瓦礫がすごかったのだろうと想像させられました。
道を進み、川と反対側に目をやると、住宅街が広がります。
しかし、堤防付近はほとんど更地。川の水により、住宅が押し流されてしまったことを物語っています。
こちらは守田神社跡地です↓
建物や社務所など、一切が流されてしまったとのこと。
その後、新しいお社が建てられたそうです。(画像中央右下)
堤防の上の道を下り、見えてきたのが長沼消防団の詰め所と長沼体育館です。
どちらもフレームは残っているものの、とても使用できる状態ではありません。
ともすると崩れてしまいそうな建物は、本当に痛々しかったです。
体育館に隣接する長野市役所長沼支所(津野サテライト)も、立ち入り禁止となっていました。
建物裏手の柱には、長沼洪水水位票が設置してあり、水害の怖さを記していました。
それから向かったのは、付近にある「妙笑寺(みょうしょうじ)」と呼ばれる曹洞宗の寺院。
長沼城があった当時は、外堀の付近に位置していたようです。
妙笑寺も、例外なく、建物が水害に遭っていました。
千曲川の堤防に近く、弘化、慶応、明治などでも、度々洪水の被害に見舞われているとのこと。
そして、このお寺には、過去に起きた水害の水位の記録が柱に残されています。
↑こちらは令和元年の台風19号による浸水被害の真新しい記録です。
その水位の高さはこの通り↑
大人の背の高さより、はるか上をいくことがわかります。
柱の記録から、過去2番目の高さであることが見て取れます。
これ以上、この記録が増えないことを祈るばかりです。
まだまだ台風の爪痕が残る長沼地区ですが、復旧が進んでいることもわかりました。今は本当に穏やかな景色が広がっています。
令和元年東日本台風の被災地を訪れて #長沼は今2020
令和元年東日本台風は、各地にさまざまな被害をもたらしました。
管理人の住む小諸市でも避難勧告が出たほど。
周辺の市町村でも、通勤・通学の足となる鉄道が運転見合わせとなる日が続いたり、道路陥没、橋梁落下、断水、停電が起きたりなど、これまで経験したことがないような被害の大きさに衝撃を受けました。
家を流され、家財道具を失くし、一時は絶望した方が大勢いらっしゃったとの話も聞き、胸が痛みました。
そうしたときに、手伝いに来たボランティアさんたちに励まされたといいます。
今回イベントに参加して、少しずつかもしれませんが、復興が着実に進んでいることを肌で感じました。
被災地の住民の方々も前を向いているに違いありません。
失っても、失っても、生きている限りは前に進むしかない。
そんな人の底力を垣間見た気がします。
管理人は間接的に被災地支援をさせていただきましたが、やはり、現地に赴いて、直接お手伝いをしたボランティアさんはすごいと思います。
この日は晩秋にもかかわらず、ちょっと動くと汗ばむような陽気でしたが、それだけではないあたたかさと心地良さに包まれた、ステキなイベントでした。
#長沼は今2020
お招きいただき、深く感謝申し上げます。